エーラウのブログ

断捨離も終わって

お盆

いかがお過ごしでしょうか?

コロナが増えてきたこともあって、なかなか落ち着かない

お盆シーズンです。

 

さて、踊るかどうかは別として、石垣島

安里屋ユンタ」という曲に振りを付けてみました。

出来るだけ簡単に踊りやすくしました。

うちのハラウのメンバーならすぐ踊れます。

リフレイン部分の

「マタハーリヌ チンダラ カヌシャマヨー」

(散りゆく愛、愛しき人)の部分が第二次大戦中、

本土から来た兵隊さんには

「死んだら、神様よ」と聞こえたらしい。

 

石垣島でフラフェスタは開催されるのか?コロナの状況で先が

見えません。開催を祈って踊ってみようと思います。

そして、平和を願って。。。

明後日は終戦記念日です。毎年「火垂るの墓」を上映されますが

哀しくてここのところ見ません。(最近やってない?)

スーパーのお菓子コーナーで

缶のドロップを見るたびにこの映画を思い出してしまいます。

度々、その缶ドロップを買い、孫にあげます。

「大事に食べてね」と言って。

しかし、すぐ口の中いっぱいに頬張ります。

残念ながら、この飽食の時代、物を大切にする心が

芽生えていないようです。

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オリンピック閉幕

なんだかんだで月日は流れていきます。

そして、オリンピックも終了しました。パラも開催となるのでしょうね。

金メダルがいっぱい取れたので、総理はホッとしているとか。

これで、少しは国民も政府に賛同してくれるだろう・・・って思いでしょうか。

 

選手の皆さんの競技を見ていると、この人たちにとっては

凄くよかったと思います。この日を目標に血の滲むような

努力をされてきたので、本当によかったと思います。

見ていても、感動しました。

 

しかし、俯瞰で物事を見ると、開催は果たしてよかったのかどうか?

あるいは、過ぎてしまったことはもうどうでも良いことのように

思えるのかわかりません。

ただ、無観客による無収入や膨大な赤字費用は税金で賄うことになります。

 

核爆弾が落とされた事実や、戦争は過ぎてしまったことだけど

忘れてはいけないと思っています。戦後76年、どんどん戦争を

知っている人が減っていきます。かくいう私もあまり学校でも

戦争について教えてもらえず、どうか今の若者が私のような

中途半端な教育を受けないことを祈っています。

戦後の教育のあり方については、本当に疑問だらけです。

誰も、本当の戦争のことを教えてくれず、触れず、日本がアジアに

したことを隠し、いいことも悪いことも知らされませんでした。

 

これからでも、少しは勉強していこうと思っています。

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蕎麦屋

蕎麦が大好きです。

結構お蕎麦が好きな人は多いと思う。

荘川村方面に行ったときはここがオススメです。

10数年ぶりに伺ったらお店の中が広くなってました。

従業員さんも増えていました。

前はカウンター席がコの字で、大将と話しながら頂いた記憶です。

今はテーブル席しかなくて、倍の広さになっていました。

下記の写真は一人前ですが、お蕎麦をお代わりしました。

結構混んでいるので、時間をちょっとはすした方がいいです。

http://www.shokawa.net/tour-guide/152

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なんで荘川に行ったのかというと、新聞広告に

別荘地ログハウス400万円代。というのを見つけて、

どんなもんかと物見遊山に出かけた。営業のおじさん、

私たちが見にきただけと知るや態度が急変して

冷たくなった。(笑)

そして、その物件はおとり広告だったようで、すでに売却済。

同じ金額ならこちらですと案内された別荘は・・・・

プレハブのボロボロ。おまけに車で入れない、ガッタガタ坂道を

上がったところ。

なんでも、芦屋あたりの人たちが自宅を売って、

ここに移住される方もいて、だいたい4000万位の

別荘を希望の方が多いそうで・・・云々

 

暇だから、ドライブがてら寄っただけなのに、

勉強になったなぁ〜

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58歳の時に立てたフラのスケジュール

パソコンの中身を整理していたら、58歳の時に立てた

今後のフラスケジュールが出てきた。

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58歳  フラオニエ まで必死で頑張る。

59歳  オニエ後は、フラはのんびり、

     仕事も成り行きでのんびり。

60歳  エーラウをEさんに徐々に移行。(頓挫)

     Aさんとアロハエーラウチームを作成する。

61歳  仕事は成り行き。フラはアロハエーラウチームのみ引き受ける。

63歳  アロハエーラウ代表をAさんへ(頓挫)

71歳  アロハエーラウ解散。以降お楽しみフラクラブ

    「エーラウ倶楽部」結成。

***

 

フムフム。ちょっとスケジュール通りにはいかなかったが

概ね路線に沿ってるではないか。

コロナのせいで、仕事はほぼ壊滅したがフラの方は

メンバーとすっごく楽しんでいる状態だ。

 

となると、71歳の時の予定は達成されるかどうか?

フラの目的は今の状態とあまり変わらない気もするが

健康かどうかが、問題かな?

ちょっと楽しみである。

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性格は変わる・・・・ものか?

皆さんの性格って、ずっと変わらないですか?

 

私は、教室を始めてからずいぶん変わった気がします。

 

よく言えば、人の事をいつも気にかけるようになった。

自分の好き放題で動くことが減った。

 

悪く言えば、自由奔放さが失われた。

 

でも、これはそんな気がするだけで、実はあまり

変わってないのかもしれないです。ただ、人のことを

性善説で解釈するのは、昔から見たいです。

 

先日、友人にAさんとまだ付き合いある?と聞かれて

もうないよ〜と答えたら、

「あの人、結構癖のある人で傷ついた人が何人もいるんだよ。

私もその一人なんだ」と言われてビックリ!!

「ぎゃ〜〜〜〜、ええ人だと思っていた。きっと、私と付き合いの

なくなった後に辛いことでもあったのかも〜」

「いやいや、その前からだよ」

 

う〜〜〜〜〜ん。昔から、人を見る目がないのかも。

でも、日本に悪人は少ないと思う。本当に怖いのは

人を人として扱わない人たちだ。

 

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「ボチボチチャレンジ」

成功体験ばかりで、挫折や苦難を味わっていない人間は

人の痛みがわからないかもしれない。

そして、幸せしか知らない人間は、小さな「幸せ」を感じることが

できない。なぜならそれしか知らないと、比較対象ができないので

あれもこれもほしい!という欲望の渦に飲み込まれる。

獲得した時のみが「満足感」を得られるが、欲はさらなる欲を産む。

 

な〜んてことは、すでに皆さんもご承知の通り。

 

なので、

今日までの「挫折」「失敗」「苦悩」「裏切」などなどの体験は

全て、今日の自分を知る糧になると思えば、それも大切な経験

だったと思う。

そうでないと、限りなく傲慢な人間になってしまうだろう。

 

たまに、自分の体力や健康を超えたことに手を出しそうになるが

「やりすぎ注意!!」と自分を戒めている。

かといって、部屋にこもりジッとしているのは苦手なので、

「ボチボチチャレンジ」程度にしなくては・・・と思う。

 

最近の週刊誌には、老後は

子供を頼らない。家を売らない。投資は禁物。生前贈与はしない。

など、よく話題にしているが、私はもし一人になったら

家を売って、もっと小さな暮らしをしたいと思ってる。

キャンピングカーでもいいかな。。。。

 

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「大地の子」

山崎豊子の「大地の子」をBSで放映していたので、初めて見たみた。

戦後のある中国残留孤児の過酷な人生を描いたこの作品を見ているうちに、

シベリア抑留の悲劇も思い出し、そのことも

もっと知らなくては・・・と思っていたところに

名古屋市博物館でシベリア抑留関係展示会があることをチラシで知り

行ってきた。日本人は、特に将来を担う子供達にもっと

知ってほしい。戦争の恐ろしさを。

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過酷な極寒と、飢えと労苦の中、人々は何を頼りに

生き延びたのか?

アウシュビッツの生き残りの方達のそれも知りたいと思い

色々な本を読んだけど、本当のところは人それぞれでわからない。

家族、子供、恋人・・・それ以外には本人の資質や体の丈夫さか。

やはり、若い人の生存率が高い。

当たり前だが、私のように薬を離せない喘息持ちは生き残れない。

●なぜ、ソ連ポツダム宣言に違反してまでも、戦争後にシベリアに

 日本人を送り込んだのか?

レーニンの指示だった。その後のフルシチョフ

 この件に関しては謝らない)

●なぜ、その保証がいまだにされないのか?

(戦後、1956年の日ソ国交調整交渉のせいだとか。そもそも

 日露不可侵条約を破った国なのに・・・)

●なぜ、戦争後にソ連兵に恥辱を受けた婦人たちは声を上げないのか?

(女性は隠したがり、男性はなかったことにしていた)

 

疑問が少しでも解明するべく、少し調べてみた。

納得したような、しないような気分である。

戦争後は敗戦国である日本政府はあまりにも脆弱で、弱者を守る余裕が

なかったとも受け取れる。そして、恥を外(世間体を気にし)には

出さないという国民性もある。

 

しかし・・・国が推奨して満州に送り出した人々を最後まで

守らないとは、なんと悲しい国家だ。そして、日本人も満州では

現地の人にかなり横暴な振る舞いをしていたので、それも

つけに回った節もある。

(戦後、中国人からの逆襲、リンチ、強奪、強姦が数多くあった)

 

レーニンの政策の怖さは今のプーチンに受け継がれ

毛沢東文化大革命の愚かさは今のチベットウィグル地区への

制圧につながる。

そして、日本国家(政府)への不信はこのコロナ渦でまた

蘇ってきた。

 

怪しい雰囲気が広がる今の世界で、なんとか平和な時代を

創り上げていきたい。一人ではなんともならないが、思いは

いつも心の中に留めておきたい。

そして、若い世代に知ってほしい。教科書にもっと取り上げてほしい。

「戦争の怖さ」を。

 

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ボロボロのシベリア抑留者のコート

下着はシラミが湧いても、脱ぐと凍死してしまうので着込んで寝ていた。

痒くて、一晩中シラミ潰しで眠れなかったそうだ。

手足は凍死でもげたりした。ほとんど餓死寸前の栄養状態だった。

毎日誰かが亡くなっていくという環境だった。特に冬に。

下の展示物を見ていたら胸が苦しくなりましたが、所詮クーラーの

中での見学にすぎません。彼らの本当の苦しさは知る由もありません。

亡くなった多くの犠牲者に心よりご冥福をお祈りいたします。

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手作りの手袋、左端は手作りの麻雀パイ

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擦り切れた防寒具

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https://www.heiwakinen.go.jp

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